- 2010-07-04 (日) 14:48
- Football
「きょうの試合には、歓喜も失望もあった。しかし、それこそ、私たちがサッカーを愛する理由であるにちがいない」
1993年ドーハ、アメリカワールドカップアジア最終予選終了後の表彰式での、ムバラク大会組織委員長の言葉
駒野の蹴ったボールが、バーに当たって跳ね返る。
標高1200メートル、プレトリアのロフタスバースフェルドで、僕らのチャレンジは終わりを告げた。
僕は以前ベストゲームを選んだことがあったけれど、これも書き直す必要があるだろう。2010年6月29日は、日本が新たなスタートを切った記念すべき日になった。
なんだか冴えないおっさんといった雰囲気のヘラルド・マルティーノ監督は、溢れる涙を隠そうとはしない。
僕らにとってはベスト8への夢を絶たれた悔しすぎる敗退(いや、試合に負けてはいない)だけれども、彼らにとっては長年の悲願を果たした瞬間だ。アスンシオンのすべての機能がストップするのも当然だろう。
1986年、アルビローハ(赤と白の意味)が久々に世界の舞台に登場した。28年ぶりのワールドカップ、偉大なるロメリート(フリオ・セサール・ロメロ)が躍動する。パラグアイ 1-0 イラク。決めたのはロメロ。
次戦は、困難な開催国との試合。先制されるも、最後まで粘り強く闘い、11万人のメキシコ人の前で(!)、85分に追いついた。決めたのは、またしてもロメロ。
そして迎えた3戦目、充実のシーフォ率いるベルギーに常に先行されたが、これも2度追いついてのドロー。
1勝2分で勝ち抜け国民は歓喜に包まれた。トーナメント初戦でリネカーとベアズリーに蹂躙されるまでは。イングランド3-0パラグアイ。ここから、彼らの悲願は始まった。負けない闘いはできた、あとはゴールを奪って、もうひとつ階段を登ろう。
でも、90年イタリア大会も、94年アメリカ大会も、南米予選を勝ち抜けなかった。当時はバルデラマのコロンビアが強かったし、ウルグアイやボリビアだっている。南米は2強確定、残りの枠はいつも熾烈な争いになる。
そして1998年フランス大会でようやく再登場。なかなか負けない「堅い」チームとして相手を悩ませるそのディフェンスは本当に素晴らしかった。大統領チラベルト、頭脳派ガマーラとその相棒アジャラ、攻守に貢献するアルセ。グループリーグでは、ブルガリア、スペインと0-0の引き分けに持ち込み、最終節では既に2連勝で勝ち抜けを決めていたナイジェリアに3-1の勝利。これぞ2番手国の戦い方、というやつでトーナメントに駒を進めた。待ち受ける相手は開催国のル・ブルー。
この試合はまだ記憶に新しい。ゴールデンゴール方式の延長戦に突入しても依然0-0のまま。プティは「まるでレンガの壁にシュートしてるような気分だったよ」と苦笑しつつも感嘆したけれども、いやいや彼らは大きな一枚岩だ。並大抵のシュートではうち破れない。
もしPK戦になれば、ホームの大歓声とチラベルトを相手にしてプレッシャーがかかるのはフランスのほうだと思われた。そして延長後半、デサイーが止めるのも聞かずにブランが攻め上がる。
「もう戻ってこないからな」
それだけ言って走っていったロロ。殆どの時間パラグアイ陣内でボールが動く。センタリングを上げる。パラグアイが跳ね返す。また拾って、また上げる。また跳ね返す。だけれども113分、右からのクロスに跳んだトレゼゲには、自軍のセンターバックが見えていた。ヘッドで完璧に落とす。ダンプカーのように飛び出してくるチラベルト。思い切り脚を振り抜き、シュートはネットに突き刺さる。倒れたまま顔を覆うチラベルト。
確かに開催国が勝ったほうが盛り上がるし、多くのサッカーファンにはパラグアイのサッカーは退屈だろう。真正面からの攻め合いではなく、相手の攻撃をとにかく潰しまくる。
だけれども、およそサッカーの試合において、僕は「アンチ・フットボール」なんて形容矛盾はあり得ないと思う。唯一あるとすれば、それは忌むべき談合だ(82年グループリーグ最終節の西ドイツ×オーストリアは開始早々に予定通りドイツが先制し、そのあと80分以上のあいだどちらも何もせず時間を過ごし、大健闘のアルジェリアを卑怯な手段で蹴落とした)。
自分たちのやりたいようにはできない小国が、格上相手に策を練る、それがサッカーの魅力のひとつだ。守りまくってPK戦に持ち込むのも立派な戦術だし、強固な守備を前にしてこそ攻撃の楽しさ、アイデアの驚異も産み出される。
そして、パラグアイのように、戦術をしっかりと決めて体力の限界までやり切って、それでもなかなか勝てないのもやはりサッカーだ。泣き崩れるチームメイトを次々と抱き起こし、「俺たちは戦争に負けた訳じゃない」と慰め、握手を求めにきたバルテズの手をがっしりと包み、胸を張る。
僕は正直あのとき、ここまで守り抜いたパラグアイに、できるならば勝って欲しかった。それにゴールデンゴール方式はどう考えても不公平だった。守って守って残り数分でゴールを奪われたのなら、そこから今度は攻めまくる、というスペクタクルが見られないじゃないか…。
そんな不平を言いつつ、しかし全員にもみくちゃにされるブランの姿を眺めながら「パリの悲劇」を想い出す。94年大会の欧州予選、僕らがドーハから帰って悲嘆に暮れていた11月。フランスは残りのホームゲーム2試合で勝ち点1を取れば良かったのに、イスラエルには残り7分で2ゴール決められ逆転負け、そして最終戦では1-1で迎えたロスタイムに余りにも幼稚なプレーから(その時の僕には言えなかったけれど)ブルガリアに決められた。まさかの逆転負けで、フランスは凍りついた。あのとき、高速でドリブルするコスタディノフに追いすがり最後にタックルしたのは、ブランだった。ショックから立ち直れないよう彼はいちどは代表引退を決意した。でも、こうやって自分のゴールで国民を歓喜させることができた…。彼は自らの悲願を達成したわけだ。もう無理だと諦めた、やめようとした、だけれども、それでも前へ。そして時たま、本当にごく僅かだけれども、成就することがある。
確かに僕は少しばかり感傷的なのかも知れない、だけれども、そんな因縁や巡り合わせがこのスポーツに更なる深みを与えている。だから、日本がいつ、どこで、誰に、どんなふうに負けたのか、しっかり記憶に刻みつけておきたい。相手がどうやって戦ってきたのかも。
2002年には南アフリカと2-2、スペインには1-3で敗れ、スロベニアを3-1で下した。トーナメント初戦、今度の相手はドイツだった。88分ノイビル。またしてもベスト8には届かない。
2006年も厳しい組み分け。イングランド戦は開始早々の手をベッカムのフリーキックからガマーラのオウンゴール。続くスウェーデン戦は89分、ユングベリのゴールに沈む。トリニダード・トバゴには勝ったけれど、グループリーグで敗退した。何度も何度も挑戦し、すべて夢果たせず散った。
チームは生き物であり、パラグアイ代表も選手は入れ替わる。それでも、ベスト8を目指して戦い続けてきた。彼らはグループリーグは何とか守り抜いて勝ち抜ける自信を持っている。ドイツ大会では失敗したものの、大国を苦しませるやりかたを徹底し、そしてトーナメント初戦を何としても勝ちに行く。彼らのワールドカップは目標と戦略がしっかり定まり、ブレていない。常連のメキシコや、カウンターが冴えるアメリカ、そして瞠目すべきビエルサのチリなど、大会を盛り上げた好チームとまではいかないけれども、パラグアイは「スタイル」を持っている。いつも彼らに欠けていたのは前線のタレントで、今回はサンタクルスやバルデスやカルドーソがいた。だからこそ、欧州の列強も充分に警戒する。
日本は「やりにくいチーム」だけれども、怖くはなかった、これまでは。今回は遂にホンダという名前が(まさしくアジア圏での日本製バイクのように)世界を駆け巡り、多くの人がその名前と金髪とキックの弾道を憶えてくれただろう。
松井のシュートがバーに当たっていなければ、もしかしたら僕らはあっさりと歴史を変えたのかもしれない。実際はそうはならなかったし、川島のファインセーブがなければやられていたのはこちらだ。
最後はPK戦というまったくもって残酷で理不尽な次戦進出チーム決定方式によって、日本は負けずにトーナメントから姿を消した。愛すべきオシム爺が言うようにPK戦はとても耐えられない代物だ、だけれども他に手がない。そして過去に日本代表も心臓が止まりそうなPK戦を制したことがあるし(ダイナステイの韓国戦、アジアカップのヨルダン戦など)、負けたときにだけ文句をいうのは僕のなかではおかしなことなので、もちろん僕はこの結果を受け入れる。そして、やっぱりサッカーファンとしては、長いあいだ夢をを追い続けたパラグアイがご褒美を手にしたのも、まあ仕方ないかなと感じているし。
だけれども実際のところは、モニターのなかに喜びを爆発させるパラグアイをみながらも、僕はしばらくのあいだ完璧に放心状態だった。そのあとの記憶はすこしばかりとんでいる。愛すべきガラムマサラのハサンさんは優しく抱きしめてくれたけれど、僕はなにを喋ったか憶えていない。
結果としてのベスト8なんてはっきりいってどうでもよかった、僕はただ、この素晴らしく団結したチームをもっと見ていたかった。どこまでやれるのかわからないけれど、彼らは確実に試合ごとに進化していた。攻撃に転じたときにスピードアップし、人数をかけて前に出る勇気を少しずつだけれども見せはじめていた(ケンゴはもっと早く投入しても良かったように思える)。終わってしまったことがただただショックで、体が動かなかった。
日本は、コンディション調整が完璧で、なによりチームとして固く結ばれていれば、あそこまではやれることがわかった(ただし欧州や南米開催でなければ、だけど)。
だからこそ、この次がとてつもなく大切になる。僕らは僕らなりに掴んだものがあるし、組織的で粘り強い守備は欧州の専門家も唸らせたけれど(「ええい、面倒くさい東洋人め!」)、チリのように周りから驚嘆の声を集めて惜しまれながら去る、というところにまでは至っていない。まずはそこを目指すべきだ。カメルーンのように脚が長くスピードでは勝てないアフリカ勢、オランダのように圧倒的に戦力差がある大国、デンマークのように大きくて堅実な欧州の中堅国、パラグアイのようにボール扱いと体の入れ方が巧みな南米のチーム… どんな国とあいまみえようとも、フィジカルとメンタルのレベルを高く保ち、真面目に献身的に頭脳的に守ることは徹底しなければならない。そしていつかはリアクションサッカーから脱却して、やりたいことを表現できるようになろう。どんなことでも一時には成し得ないけれども、とにかくやるべきことをやれれば、なんとか通用することもあるとわかったじゃないか。文字通りに体験したじゃないか。これはとんでもなく大きな体験だし、ここまで到達したからこそ得る事ができた成果だ。
僕らにとって、未だにワールドカップは負けるための大会だ。それは厳然たる事実だ。同時に、4年後、8年後、36年後に夢を繋ぐための大会でもある。生きてるあいだに僕もあと10回くらいは悔しがり、僕の子供たちもこれからたくさん悔しがり、そしてその子供たちも悔しがるだろう。でも孫たちの涙の原因が「決勝でブラジルに負けたこと」、なんてあり得ないって誰が言える?
世界を見渡しても、短期間でここまで進化した国はそうない。サッカーはとてもシンプルだからこそ、強い国は強いし弱い国は弱い、だけれども僕らは他に類を見ない成功例だ。僕らがこれからの4年間でどうなるか、ブラジルで披露しようじゃないか。それをパラグアイのひとたちにも見せつけようじゃないか。南アフリカでは俺らは負けなかったけど、今回は勝ってやるぞ。そう言ってやろうしゃないか。
4年後、もしも日本がベスト8に勝ち上がっても、東京の機能が麻痺することはない。一時的には生産性が著しく低下するくらいにサッカー馬鹿が増えている事を期待してはいるけれど。
そして、誰が代表監督になるのか、Jリーグからどんな逸材が誕生してくるのかわからないけれども、僕らはようやく正しいサイクルに嵌りはじめた。真剣に考えて、プランを立てて、しっかりと実行し、最高の状態で本番に臨み、そして負けて悔し泣きしつつ、反省と次の準備を始める。"お客さん"を卒業して、ワールドカップがょうやく肌で感じられるようになってきた。
こんなに楽しいことはない。そして、冒頭の引用のように、これからも歓喜と失望を思う存分味わいたい。そして、(中年オヤジの病気体験談トークのように)孫たちに滔々と語りたい、日本は昔は出ると負けだったんだよ信じられないだろうけど、なんて逆自慢をしてやりたい。
ああ、ワールドカップの度にサッカーがますます好きになる。奇跡の28年間右肩上がり。これを幸せと言わずしてなんと言おう…!サッカーとはかくも偉大なり。子供たちが金髪にしたがっても、いまなら反対する術がないな。
そしてまだまだ宴は続く。決勝はオランダとドイツか?憧れを抱きつつも、その険しすぎる山を一歩ずつ登って、いつかは。
いつの日にか。
コメント:2
- YOSHI
10-07-05 (月) 20:48 -
2026年、2030年の6月は空けておいて。
日本人のUKがシェザンクラブのおっさん達を夢の舞台に招待するから。
そうなったら、おもしろいんだけどね。
毎日、幼稚園に行く前に一試合録画を見て(なぜか選手入場から)出掛けていくよ。
また遊んでね!! - admin
10-07-05 (月) 21:15 -
もちろん空けとくよ!
絶対にUKがワールドカップで日本を勝たせてくれると思うよ、あんな幼稚園児みたことない。将来どうなっちゃうのか。サッカーの神様に祝福されたバンビーノ・デル・オロだよ、楽しみだね。
またうちの子たちと遊んでね、と伝えといて。
別れ際しょんぼりしたのが可愛かった(笑)


