ペンタキューブ
2002年のワールドカップ(再掲)
- 2010-07-18 (日)
- Football
スペイン代表のユニフォームのエンブレムは国章そのままだ。両側に立つのはヘラクレスの柱。それを飾るリボンには、ラテン後で『PLVS VLTRA』と書かれている。意味は、"もっと遠くへ"。
彼らは確かに未踏の新大陸へと上陸した。
ところで、僕らはどこまでいけるのだろうか。少なくとも目標に向かって着実に、少しずつでも着実に昇らなければならない。80年代の終わりからの15年間は飛躍的に伸びた、と思っていたのだけれど、ワールドカップのたびに斜面の険しさを思い知る僕には、そもそも頂点の高さすら定かではないのが正直なところだ(今回の冒険は急峻な坂に差し掛かったところで終ってしまったけれど、それを体で知る事ができたという収穫があった)。
そこで、自戒の意味を込めて、腑抜けだった8年前の自分を振り返っておこう。
以下は、僕がむかし書いていたサイトに於いて、2002年6月17日に投稿したものだ。まあ、恥ずかしいったらありゃしない。これ読むと、僕自身がワールドカップに『お客さん』として参加してたことがよーくわかるな…。だけれども、ひとは誰しも必ず成長するものですよ。うん(笑)
2002/06/17
ラウンドロビンがあっというまに終わり、息をつく暇も与えずに、選ばれし16チームによる決戦が始まった。
雨の宮城においては、トルシエとその子どもたちによる波乱に満ちた長い冒険が、遂に終わりの時を迎えた。このエキセントリックなフランス人監督は、驚きと喜びにあふれた歴史を刻み、日本サッカーの新たな地平を創造したけれど、最後の采配での賭けはうまくいかず、三都主のキックは無情に跳ね返った。(代表監督のラストゲームは当然、 99%敗北で終わる)
でも、前回の3連敗からの驚くべき進歩については、正当な評価をするべきだろう。よくやった。実に素晴らしい結果だ。あまりの見事な成績のせいで、日本はどこまでも飛んでいけるような錯覚を、僕も一瞬持ってしまったのだけれど、やはりいつかは敗北と向き合うことになる。
まったく文句のない勝ち点7のあとで、注目すべきトルコによって突然もたらされた幕切れに、言いようのない虚脱感を味わいながらも、この国も落ち着きを取り戻し始めた。無邪気な”ジャパニーズ・フーリガン”達も、照れ笑いと共に道頓堀の水質について語りはじめるだろう。
僕はといえば、もう正直にいってしまうけれど、実際のところ”Hグループ1位通過”にほとんど満たされていて、これ以上の大それた野心を強く持つことができなかった。文字通りの夢が現実となった今、新たな夢をあまり簡単に叶えられてしまっては、生きる希望のデフレを引き起こしかねない。日本は確実に強くなった。ゆっくりでも構わないから、このまま歩き続ければいい。僕の孫がスタジアムで叫ぶようになる頃には、この国も落ち着いた佇まいのワールドカップ常連顔となり、例えばブラジルやドイツを常に苦しめるような、立派な二流国になってるはずだ。
さて、大歓声とともに猛然と走り出した韓国特急ヒディング号は、不安、焦燥、重圧という負のエネルギーを変換し、恐ろしいほどの力をみなぎらせていて、その勢いはまだ弱まりそうにみえない。
イタリアにとっての根本的な不幸は、”何が起こるかわからない”
という不気味な空気が蔓延していたことと、日本の敗退による韓国のモチベーション増加だ。トルシエの信じるバランスやロジックには、FWばかりをこれでもかと並べるという、究極で手っ取り早い最後の手段は存在し得ないけれど、自信満々のレッドデビル達は、共催国ならぬ競催国の素直な負けかたを嘲笑しながら、「ウリナラに不可能はない」と胸を張る。目にほとんど狂気を宿らせた虎を屠るには、1点では少なすぎた。ボールよりも戦術、戦術、そして戦術を信奉するカルチョの国は、あまりに早く守りに入りすぎたあげく(つまり戦術ミスだ)、常識外のタスクをこなす柔軟性を身につけた以前の”脇役”に、ボール支配率、シュート決定率、パス成功率、タックル成功率のいずれも劣り、仙台での素晴らしい日々(事前キャンプで彼らは神と崇められた)を涙で流し去って、惨めな帰国の途に着いた。
それにしても、勝利目前でのパヌッチの信じられない転倒は、
理解の範疇を越え、恐怖すら感じた。あの異様なスタジアムの雰囲気と無関係ではないと信じる。今大会、審判に怒りっぱなしのビエリに至っては、同点とされた直後の絶対的なチャンスを外してしまった。偉大な作家デクスターの”モース主任警部シリーズ”で活躍した、(オックスフォード・ユナイテッドファンであるところの)ルイス部長刑事の言葉を借りよう。
「私ならスリッパを履いてたって決められるのに!」
100万回の練習では外さないたった5メートルのシュートは、バーの遙か上空を飛んでいき、もはやアズーリに言い訳の余地はない。イタリアの公開処刑の様相を呈した延長戦を、僕はもうニヤニヤと笑いながら眺めつつ、(朴智星には感心した)アメリカ戦のゴール後のあの下品なパフォーマンスと、明らかに失敗の”おばさんパーマ”で顰蹙を買った安貞垣が、ゴールデンゴールを決めて英雄になった瞬間を目撃し、もうこれからは決して驚かないことを誓う。
韓国の”アジア初ベスト4”どころか、ファイナリストになる可能性すら、真顔で語られるべきだ。いずれにせよ、FIFA2002鄭夢準カップTMは大成功となった。
ドイツとパラグアイの退屈には失望した。
デンマークは前半でイングランドに勝利をプレゼントした。
ベルギーはブラジルに勇敢に挑み、不運な敗退を喫した。
アイルランドとスペインの死闘には胸を強く揺さぶられたけれど、ワールドカップらしさという点で、スウェーデン対セネガルのゲームが強く印象に残る。
スベンションの完璧なターンからのシュートはポストに阻まれ、その直後のカマラのゴールで、魅惑のセネガルがさらに躍進した。彼らを屈服させるのは至難の業だろう。
フランス大会での3連敗仲間だったアメリカは、順調に進化し、今大会の台風の目となった。勇敢で、基本に忠実で、肉体的には大きくはないけれど強く柔軟で、執拗なサイドアタックに希望の光を見いだし、メキシコにとって全く厄介な邪魔者となった。アメリカン・フットボールに熱狂する国から選ばれた、”THE RIGHT STUFF” USAナショナルチームは、派手さはないけれど正しい道のりを歩んでいるようで、僕は好感を持って彼らを見つめる。
フランスも蹴り出され、アルゼンチンも倒れ、ポルトガルも失敗し、当初の予想とはかなり違うワールドカップになったけれど、やっぱりおもしろい。サッカーはおもしろい。たとえ”奇妙なワールドカップ”だとしても、僕はこのフィエスタを、幸せな気分で楽しんでいる。
16チームが8チームになった。そしてもうすぐ、ベストの4チームが決まる。あと3試合に勝利するのはどこなのか、おそらくもうすぐ見えてくるだろう。
僕はやはり、3Rのブラジルを推す。彼らの軽率でお粗末な守備を見たあとでさえ、だ。次にセネガルか韓国だろう。にわかには受け入れがたいけれど、2002年とは、そういうワールドカップになる。
それもいい。
狭山ラトルズおめでとう!
- 2010-07-18 (日)
- Football
全国クラブチームサッカー選手権埼玉県大会で優勝しましたー!
とても楽しそうにプレイしてましたね。
おめでとうございます。
その他の写真はこちら
【photo】埼玉県サッカー選手権大会 1回戦
- 2010-07-18 (日)
- Football
カップはいまここに
- 2010-07-18 (日)
- Football
Si, si, si !La Copa ya esta aqui!
優勝凱旋パレードで250万人の観衆がスペイン代表を称えて
69歳のルイス・アラゴネスがエルンスト・ハッペル・シュタディオンで胴上げされたのは、2年前の6月29日だった。フェルナンド・トーレス、前半33分。ボールに2回触れて、ラームとレーマンに屈辱を味合わせた。熱き血のプジョルは「みんなに批判されたつらい時期を乗り越えてきた。それで僕らの精神力は強くなったんだ」と語った。
苦境に立たされた時の強靭なメンタル、それこそ無敵艦隊に欠けていたものだった。どんなときも絶対に諦めないドイツとの決定的な違いは、タイトル獲得の差となって現れる。そのドイツを1-0で下して44年ぶりの欧州王者となったフリア・ロハは、美しいフットボールで最高の結果を得た。彼らは確かに「強く」なったのだろう。
1998年のワールドカップでは、スペインのプレイは美しくないばかりか、そもそもパスワークすら存在しなかった。
2002年については内容を語らないでおこう。カスティーリャで、カタルーニャで、バレンシアで、バスクで、アンダルシアで、カナリア諸島で、コリアンへの呪詛が止むことはなかった。ホアキンの涙を悲しみ、エルゲラの怒りに同調し、確かにスペインは気持ちをひとつにはしたけれど、それで何かが残ったわけでもない。
2006年のワールドカップは期待しても良い筈だった、バルサとセビージャが欧州を制しスペインこそが魅惑的で強いんだと叫ぶときなのに、代表となる誰もが嘲笑を浮かべる。どうせまたダメだよ。ウクライナ、チュニジア、そしてサウジアラビアと同組になったあとでさえ、自国のグループリーグ敗退を予想する人が2割も居たとはスペインらしい。トーナメントには進んだけれどもフランスに逆転負けを喫したチーム、そこにはカシージャス、プジョル、セルヒオ・ラモス、シャビアロンソ、セスク、トーレス、ビジャが居た。彼らは何を学んで、どうやって強くなったのか?未だにメキシコの真似すらできていない僕らは、「スペインにできることは日本にだってできるはずだ」と言われても、うん、そりゃちょっと難しいよジョアン(サルバンス、バルサの元カンテラ監督)。
「公園で遊ぶ子どものように」プレイを楽しんだフゴーネスたちは、帰国するやチームカラーの赤に塗られたバスに乗り込み、マドリードの幹線道路であるカステリャーナ通りをパレードした。集まった国民たちは
「カップは今ここに!(Si, si, si la copa ya esta aqui !!! )」
と声高らかに謳い、上空では軍用機も赤と金のスモークを噴射しながらはしゃぐように飛び回った。
彼らは互いの距離を短くとり、瞬時に多くのトライアングルを作り、軽やかにダイレクトパスを回しながら、時折鋭い楔のパスを打つ。チャビはくるりとターンするだけで状況を瞬時に変えてしまうし、イニエスタはトラップだけで自ら空間を創りだしアタックのスイッチを入れる。ダビド・シルバの気の利いたドリブルは相手をパニックに陥れ、セスクは試合を決めるパスを出す。
スペインにいったいなにが起こっていたのか?ここまで創造性溢れる選手たちが同時期に揃うのは奇跡に等しいけれども、そんなチームがユーロで勝ち上がることこそが本当に夢のようだ。もちろん過去にも例はある(だからこそ僕はこのスポーツに魅せられたのだけれども)。82年、テレの芸術作品だった「黄金の4人」は、鉄の守りと電光石火のカウンターのイタリアに敗れたが、84年のユーロではプラティニ、ジレス、ティガナ、フェルナンデスの「銀の中盤」が華麗なシャンパン・サッカーで欧州を制した(決勝の相手は地元スペイン。プラティニのフリーキックを名手アルコナーダが信じがたいファンブル!)。中盤でパスを回しながらゴールに迫り、アタッキングエリアでなお芸術的な崩しをみせて相手の守備を無効化し、そしてネットを揺らす。
だけれども、劇的にプレイスピードがあがっている現代において、ミスなく完璧にパスを回し続けるのは困難で、さらには中盤での勝負を避けて守備ブロックを深く設定し、スペースを思いっきり限定するやりかた(モウリーニョ式)にもやられることがある。
バケーロ、チキ・ベギリスタイン、マルティン・バスケス、バラハ、バレロン、そしてペップ・グアルディオラ。スペイン代表にはミッドフィールドの天才がいたし、サリナス、ブトラゲーニョ、ラウール、モリエンテスのような点取り屋もいた。だけど、必ずここ一番で敗れ去ってきた。うまくいかないときには下を向き、早々に諦めてしまう。チームとして結束し最後の瞬間まで断固戦い抜く、といった姿は僕の記憶にはなかった。僕も世界中のフットボール・ファンと同様に、スペインはワールドカップの常連ではあるけれど、勝てないチームだというレッテルを貼っていた。それなのに、小柄な選手たちが楽しげにプレーして、それで欧州のトップにまで登り詰めた。これまで観たスペイン代表で最も美しいプレーを展開するチームが2008年、大きく輝いた。だけれども、だからこそ、2年後の南アフリカでは勝てないだろうなとしょんぼりしてしまった。
ワールドカップの直前、サッカー仲間たちと飲みながら予想を立てているときに、ひとりの女の子が「やっぱり優勝はスペインかなー!」と朗らかにのたまったので、僕は首を振りながらも優しい口調で、サッカーファンとして上から目線で、偉そうに諭したものだった。
うん、あのさー、確かにスペインは強いし最高に格好いいサッカーをするし、僕ももちろん大好きだし優勝を願ってる。そうなったら喜ぶひとも世界中にたくさんいるだろうしね。だけどさー、悪いけど、スペインだけはないよ。
ビールをごくりと飲み干して、ジョッキをテーブルにことりと置いて続ける。そうだなあ、だったらスペインよりも、日本のベスト4のほうが可能性あるかもよ、わっはっは。
「えー」と不満そうな彼女に僕は喜々としてメモを見せる。うん、間違いなくアルゼンチンとブラジルの決勝になるね。でもスペインは大好きだから、うーんそうだなあ、ベスト4には行くことにしよう。期待票だけど。そんで決勝の前日、イングランド相手にさ、素晴らしいパスワークを見せて3位になるんだよ。それがスペインらしさってやつだよ。
「えー」
えーじゃないよ、だいたいさ、ユーロ獲ったあとのワールドカップで優勝なんて、もはや殆ど不可能じゃない?たしかに72年と74年の西ドイツはすごかったかもしれないけどさ。この時代には不可能でしょ、徹底的にマークされて分析されるし。むりむりスペインは。わかってないなー。
「えー、あんなに楽しくて強いのにー(ぶつぶつ)」
はっはっは、ないよないよ。間違いない。スペインは南アフリカでは勝てないよ、トーナメントのどこかでやられるよ。
…僕の格好悪さったらない、まったく最悪だ。彼女に謝らなければ。わかってないのは僕のほうだ、いつまでも昔のことを引きずってしまい、時代の変化の早さ、その流れの大きさを読み誤ってる。僕はいつでも固執したがっているのかもしれない、ブラジルは最強でアルゼンチンはD10Sがいれば勝てるしイタリアは狡猾に守って勝ち上がりドイツはいつも最後に勝ってイングランドは毎回そこそこ、そしてオランダとスペインは良いサッカーを披露しても負ける、と。
そうなんだ、僕よりも観戦歴の浅い彼女がずばり本質を口にしたように、スペインのサッカーは楽しくて、強い。美しく勝つチームだ。そして、ワールドカップというのはそういうチームが勝てる大会たり得る、ということを僕は彼女に教わったわけだ。スイスに負けたときには、僕はすこしいやな予感がした。おいおい、いきなり初戦落としたよ、まさかこのままさようならなんて言わないでくれよな。大会が盛り上がらないじゃないか…。
五日後、彼らはホンジュラスを下した。スイスにはガチガチに守られてカウンターからあえなく失点したけれど、ホンジュラスもチリに敗れた後だけに、ゴールは必要だった。そしてビジャがチームを救った。巧みなドリブルからの先制点で、スペインは多少の落ち着きを取り戻したようにみえた。パスワークではなく個人技ではあったけれど、ワールドカップのグループリーグでは、まず勝つことが重要だ。
続いて、瞠目すべきビエルサのチリにも競り勝った。珍しく相手に支配され攻め込まれるスペイン。攻撃にも変化が少なくカウンターで活路を見いだすのみだったけれど、ややラッキーな先制点とイニエスタのテクニカルなシュートで2-0として、後半トーレスに代えてセスクを入れてからはボールを歌わせることに成功した。
そしてここからのトーナメント戦で1-0の快進撃が始まる。最低得点数だけれどもチャンスを作れていた。特に信じられなかったのは準決勝で、それまで怒濤の勢いだった若きドイツは(ミュラーを欠いたとはいえ)明らかに臆病すぎた。余りにも慎重な彼ら、その脳裏には2年前の夜の敗戦の記憶がよぎったのかもしれないけれども、勿体なかった。自信を失うドイツ、楽しそうに攻め続けるスペイン。いつもなら残りわずかでヘディングシュートを突き刺すのはドイツの役割だったはずなのに。何もかもが昔とは違った。
決勝はオランダの激しいコンタクトプレーに悩ませられていたスペインなのだけれど、しかしそこでもやはり逸って自分を見失うことなく、熱くなって報復することもなく、嫌気がさして下を向くでもなく、冷静に、まったく落ち着いて穴を探し続けた。そして、延長後半の決勝ゴールは我らがイニエスタ。ユニフォームを脱ぎ、ハルケへのメッセージを世界中に流し、そして歓喜、歓喜、歓喜…
(デルボスケさん、ダビド・シルバを使ってくれれば完璧だったよ)
初優勝だったこと、ユーロとの連覇だったこと、日程的に不利なH組だったこと、そしてなにより、スペインが優勝したこと。絶対的存在の9番が不調であるにも関わらず、厳しい日程も乗り越え、準決勝で1-0でドイツを下したこと、そして延長戦に突入してチームの誰もが疲労困憊しきった状況でなお、最後の気力を振り絞って、持てる力を出し尽くして、つまり、もうこの試合で死んでしまってもいいというような覚悟を前面に押し出して、精神力で相手を上回り、そして天才の完璧なパスと天才の完璧なシュートで、世界一の高みに到達したこと。今回の南アフリカ大会は、それだけでも歴史に残るワールドカップだったと思うし、またしても忘れえぬフィエスタの記憶が僕の心に強くつよく刻まれた。カシージャスとプジョルが固く抱き合うシーンを眺めながら、とても素晴らしいものを観た満足感で僕は胸いっぱいになった。
マドリードで、またしても2年前のあの光景が再現された。通りは国民であふれかえり、誰も彼もが弾けるような笑顔で、やはり軍用機が赤と金のスモークを噴射しながらはしゃぐように飛び回った。人々は
「Si, si, si la copa ya esta aqui !!! 」
と声高らかに謳った。そして今回は、マドリードではありえないことまで起きた… ブラウグラナのイニエスタを称える歌声が発生し、しかもそれがレアルの旗を掲げるマドリディスタにもかき消される事がなかった。彼らはひとつになった。
おめでとうスペイン。カップはあなたたちのものだ。美しく強いサッカーに、心からの拍手を!
いつかは、そこへ。
- 2010-07-04 (日)
- Football
「きょうの試合には、歓喜も失望もあった。しかし、それこそ、私たちがサッカーを愛する理由であるにちがいない」
1993年ドーハ、アメリカワールドカップアジア最終予選終了後の表彰式での、ムバラク大会組織委員長の言葉
駒野の蹴ったボールが、バーに当たって跳ね返る。
標高1200メートル、プレトリアのロフタスバースフェルドで、僕らのチャレンジは終わりを告げた。
僕は以前ベストゲームを選んだことがあったけれど、これも書き直す必要があるだろう。2010年6月29日は、日本が新たなスタートを切った記念すべき日になった。
なんだか冴えないおっさんといった雰囲気のヘラルド・マルティーノ監督は、溢れる涙を隠そうとはしない。
僕らにとってはベスト8への夢を絶たれた悔しすぎる敗退(いや、試合に負けてはいない)だけれども、彼らにとっては長年の悲願を果たした瞬間だ。アスンシオンのすべての機能がストップするのも当然だろう。
1986年、アルビローハ(赤と白の意味)が久々に世界の舞台に登場した。28年ぶりのワールドカップ、偉大なるロメリート(フリオ・セサール・ロメロ)が躍動する。パラグアイ 1-0 イラク。決めたのはロメロ。
次戦は、困難な開催国との試合。先制されるも、最後まで粘り強く闘い、11万人のメキシコ人の前で(!)、85分に追いついた。決めたのは、またしてもロメロ。
そして迎えた3戦目、充実のシーフォ率いるベルギーに常に先行されたが、これも2度追いついてのドロー。
1勝2分で勝ち抜け国民は歓喜に包まれた。トーナメント初戦でリネカーとベアズリーに蹂躙されるまでは。イングランド3-0パラグアイ。ここから、彼らの悲願は始まった。負けない闘いはできた、あとはゴールを奪って、もうひとつ階段を登ろう。
でも、90年イタリア大会も、94年アメリカ大会も、南米予選を勝ち抜けなかった。当時はバルデラマのコロンビアが強かったし、ウルグアイやボリビアだっている。南米は2強確定、残りの枠はいつも熾烈な争いになる。
そして1998年フランス大会でようやく再登場。なかなか負けない「堅い」チームとして相手を悩ませるそのディフェンスは本当に素晴らしかった。大統領チラベルト、頭脳派ガマーラとその相棒アジャラ、攻守に貢献するアルセ。グループリーグでは、ブルガリア、スペインと0-0の引き分けに持ち込み、最終節では既に2連勝で勝ち抜けを決めていたナイジェリアに3-1の勝利。これぞ2番手国の戦い方、というやつでトーナメントに駒を進めた。待ち受ける相手は開催国のル・ブルー。
この試合はまだ記憶に新しい。ゴールデンゴール方式の延長戦に突入しても依然0-0のまま。プティは「まるでレンガの壁にシュートしてるような気分だったよ」と苦笑しつつも感嘆したけれども、いやいや彼らは大きな一枚岩だ。並大抵のシュートではうち破れない。
もしPK戦になれば、ホームの大歓声とチラベルトを相手にしてプレッシャーがかかるのはフランスのほうだと思われた。そして延長後半、デサイーが止めるのも聞かずにブランが攻め上がる。
「もう戻ってこないからな」
それだけ言って走っていったロロ。殆どの時間パラグアイ陣内でボールが動く。センタリングを上げる。パラグアイが跳ね返す。また拾って、また上げる。また跳ね返す。だけれども113分、右からのクロスに跳んだトレゼゲには、自軍のセンターバックが見えていた。ヘッドで完璧に落とす。ダンプカーのように飛び出してくるチラベルト。思い切り脚を振り抜き、シュートはネットに突き刺さる。倒れたまま顔を覆うチラベルト。
確かに開催国が勝ったほうが盛り上がるし、多くのサッカーファンにはパラグアイのサッカーは退屈だろう。真正面からの攻め合いではなく、相手の攻撃をとにかく潰しまくる。
だけれども、およそサッカーの試合において、僕は「アンチ・フットボール」なんて形容矛盾はあり得ないと思う。唯一あるとすれば、それは忌むべき談合だ(82年グループリーグ最終節の西ドイツ×オーストリアは開始早々に予定通りドイツが先制し、そのあと80分以上のあいだどちらも何もせず時間を過ごし、大健闘のアルジェリアを卑怯な手段で蹴落とした)。
自分たちのやりたいようにはできない小国が、格上相手に策を練る、それがサッカーの魅力のひとつだ。守りまくってPK戦に持ち込むのも立派な戦術だし、強固な守備を前にしてこそ攻撃の楽しさ、アイデアの驚異も産み出される。
そして、パラグアイのように、戦術をしっかりと決めて体力の限界までやり切って、それでもなかなか勝てないのもやはりサッカーだ。泣き崩れるチームメイトを次々と抱き起こし、「俺たちは戦争に負けた訳じゃない」と慰め、握手を求めにきたバルテズの手をがっしりと包み、胸を張る。
僕は正直あのとき、ここまで守り抜いたパラグアイに、できるならば勝って欲しかった。それにゴールデンゴール方式はどう考えても不公平だった。守って守って残り数分でゴールを奪われたのなら、そこから今度は攻めまくる、というスペクタクルが見られないじゃないか…。
そんな不平を言いつつ、しかし全員にもみくちゃにされるブランの姿を眺めながら「パリの悲劇」を想い出す。94年大会の欧州予選、僕らがドーハから帰って悲嘆に暮れていた11月。フランスは残りのホームゲーム2試合で勝ち点1を取れば良かったのに、イスラエルには残り7分で2ゴール決められ逆転負け、そして最終戦では1-1で迎えたロスタイムに余りにも幼稚なプレーから(その時の僕には言えなかったけれど)ブルガリアに決められた。まさかの逆転負けで、フランスは凍りついた。あのとき、高速でドリブルするコスタディノフに追いすがり最後にタックルしたのは、ブランだった。ショックから立ち直れないよう彼はいちどは代表引退を決意した。でも、こうやって自分のゴールで国民を歓喜させることができた…。彼は自らの悲願を達成したわけだ。もう無理だと諦めた、やめようとした、だけれども、それでも前へ。そして時たま、本当にごく僅かだけれども、成就することがある。
確かに僕は少しばかり感傷的なのかも知れない、だけれども、そんな因縁や巡り合わせがこのスポーツに更なる深みを与えている。だから、日本がいつ、どこで、誰に、どんなふうに負けたのか、しっかり記憶に刻みつけておきたい。相手がどうやって戦ってきたのかも。
2002年には南アフリカと2-2、スペインには1-3で敗れ、スロベニアを3-1で下した。トーナメント初戦、今度の相手はドイツだった。88分ノイビル。またしてもベスト8には届かない。
2006年も厳しい組み分け。イングランド戦は開始早々の手をベッカムのフリーキックからガマーラのオウンゴール。続くスウェーデン戦は89分、ユングベリのゴールに沈む。トリニダード・トバゴには勝ったけれど、グループリーグで敗退した。何度も何度も挑戦し、すべて夢果たせず散った。
チームは生き物であり、パラグアイ代表も選手は入れ替わる。それでも、ベスト8を目指して戦い続けてきた。彼らはグループリーグは何とか守り抜いて勝ち抜ける自信を持っている。ドイツ大会では失敗したものの、大国を苦しませるやりかたを徹底し、そしてトーナメント初戦を何としても勝ちに行く。彼らのワールドカップは目標と戦略がしっかり定まり、ブレていない。常連のメキシコや、カウンターが冴えるアメリカ、そして瞠目すべきビエルサのチリなど、大会を盛り上げた好チームとまではいかないけれども、パラグアイは「スタイル」を持っている。いつも彼らに欠けていたのは前線のタレントで、今回はサンタクルスやバルデスやカルドーソがいた。だからこそ、欧州の列強も充分に警戒する。
日本は「やりにくいチーム」だけれども、怖くはなかった、これまでは。今回は遂にホンダという名前が(まさしくアジア圏での日本製バイクのように)世界を駆け巡り、多くの人がその名前と金髪とキックの弾道を憶えてくれただろう。
松井のシュートがバーに当たっていなければ、もしかしたら僕らはあっさりと歴史を変えたのかもしれない。実際はそうはならなかったし、川島のファインセーブがなければやられていたのはこちらだ。
最後はPK戦というまったくもって残酷で理不尽な次戦進出チーム決定方式によって、日本は負けずにトーナメントから姿を消した。愛すべきオシム爺が言うようにPK戦はとても耐えられない代物だ、だけれども他に手がない。そして過去に日本代表も心臓が止まりそうなPK戦を制したことがあるし(ダイナステイの韓国戦、アジアカップのヨルダン戦など)、負けたときにだけ文句をいうのは僕のなかではおかしなことなので、もちろん僕はこの結果を受け入れる。そして、やっぱりサッカーファンとしては、長いあいだ夢をを追い続けたパラグアイがご褒美を手にしたのも、まあ仕方ないかなと感じているし。
だけれども実際のところは、モニターのなかに喜びを爆発させるパラグアイをみながらも、僕はしばらくのあいだ完璧に放心状態だった。そのあとの記憶はすこしばかりとんでいる。愛すべきガラムマサラのハサンさんは優しく抱きしめてくれたけれど、僕はなにを喋ったか憶えていない。
結果としてのベスト8なんてはっきりいってどうでもよかった、僕はただ、この素晴らしく団結したチームをもっと見ていたかった。どこまでやれるのかわからないけれど、彼らは確実に試合ごとに進化していた。攻撃に転じたときにスピードアップし、人数をかけて前に出る勇気を少しずつだけれども見せはじめていた(ケンゴはもっと早く投入しても良かったように思える)。終わってしまったことがただただショックで、体が動かなかった。
日本は、コンディション調整が完璧で、なによりチームとして固く結ばれていれば、あそこまではやれることがわかった(ただし欧州や南米開催でなければ、だけど)。
だからこそ、この次がとてつもなく大切になる。僕らは僕らなりに掴んだものがあるし、組織的で粘り強い守備は欧州の専門家も唸らせたけれど(「ええい、面倒くさい東洋人め!」)、チリのように周りから驚嘆の声を集めて惜しまれながら去る、というところにまでは至っていない。まずはそこを目指すべきだ。カメルーンのように脚が長くスピードでは勝てないアフリカ勢、オランダのように圧倒的に戦力差がある大国、デンマークのように大きくて堅実な欧州の中堅国、パラグアイのようにボール扱いと体の入れ方が巧みな南米のチーム… どんな国とあいまみえようとも、フィジカルとメンタルのレベルを高く保ち、真面目に献身的に頭脳的に守ることは徹底しなければならない。そしていつかはリアクションサッカーから脱却して、やりたいことを表現できるようになろう。どんなことでも一時には成し得ないけれども、とにかくやるべきことをやれれば、なんとか通用することもあるとわかったじゃないか。文字通りに体験したじゃないか。これはとんでもなく大きな体験だし、ここまで到達したからこそ得る事ができた成果だ。
僕らにとって、未だにワールドカップは負けるための大会だ。それは厳然たる事実だ。同時に、4年後、8年後、36年後に夢を繋ぐための大会でもある。生きてるあいだに僕もあと10回くらいは悔しがり、僕の子供たちもこれからたくさん悔しがり、そしてその子供たちも悔しがるだろう。でも孫たちの涙の原因が「決勝でブラジルに負けたこと」、なんてあり得ないって誰が言える?
世界を見渡しても、短期間でここまで進化した国はそうない。サッカーはとてもシンプルだからこそ、強い国は強いし弱い国は弱い、だけれども僕らは他に類を見ない成功例だ。僕らがこれからの4年間でどうなるか、ブラジルで披露しようじゃないか。それをパラグアイのひとたちにも見せつけようじゃないか。南アフリカでは俺らは負けなかったけど、今回は勝ってやるぞ。そう言ってやろうしゃないか。
4年後、もしも日本がベスト8に勝ち上がっても、東京の機能が麻痺することはない。一時的には生産性が著しく低下するくらいにサッカー馬鹿が増えている事を期待してはいるけれど。
そして、誰が代表監督になるのか、Jリーグからどんな逸材が誕生してくるのかわからないけれども、僕らはようやく正しいサイクルに嵌りはじめた。真剣に考えて、プランを立てて、しっかりと実行し、最高の状態で本番に臨み、そして負けて悔し泣きしつつ、反省と次の準備を始める。"お客さん"を卒業して、ワールドカップがょうやく肌で感じられるようになってきた。
こんなに楽しいことはない。そして、冒頭の引用のように、これからも歓喜と失望を思う存分味わいたい。そして、(中年オヤジの病気体験談トークのように)孫たちに滔々と語りたい、日本は昔は出ると負けだったんだよ信じられないだろうけど、なんて逆自慢をしてやりたい。
ああ、ワールドカップの度にサッカーがますます好きになる。奇跡の28年間右肩上がり。これを幸せと言わずしてなんと言おう…!サッカーとはかくも偉大なり。子供たちが金髪にしたがっても、いまなら反対する術がないな。
そしてまだまだ宴は続く。決勝はオランダとドイツか?憧れを抱きつつも、その険しすぎる山を一歩ずつ登って、いつかは。
いつの日にか。
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